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.*ブリキの馬が逃げてゆく おまつりの終わる夜がきた*゜.
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昨日の御茶ノ水3号館、講師室にて。
この秋から教わっている古文のU野師に質問をしていて、
終わった後におもむろに言われた言葉。
「君の学校のさ、フクナガコウジのクヒが見たいんだよね」
(´・ω・`)?
言っていることが聞き取れない私。
「クヒ」は「句碑」で、俳句を刻んだ石碑だよ、と言われて
なるほど、と思いながらもなお、
その人物が誰なのかも分からないし、さらに言えば
U野師がなぜ、私の通っている学校を知っているのか分からない。笑
千葉の片田舎の学校の制服まで覚えているのか。笑
それとも前に私名乗ったのかな…記憶ないや。
そんな事を考えていると
福永耕二 水原秋桜子 能村登四郎 林翔
と、さらさらとメモ帳に名前を書いていくU野師。
どうやら福永耕二、能村登四郎、林翔の3人は市川学園の先生であり、
かつ著名な俳人だったそうなんです。
駿台古文科の先生であり、俳人としての活動もしているU野師にとっては憧れの人なんだそうで。
「君携帯持ってる?写メ撮ってきてよ。」
と言われました。
まさかの依頼。笑
しかし、話を聞いているうちに
そんなに凄い人がこの学校にいたのか!!
と、どんどん興味がわいてきまして
(調べると分かりますが、実際すごい人たちなのです)
こうして偶然知ったのも1つの縁だろう!と思って
今朝第3教育センターで句集を借りてきました。
しかし大きな疑問が。
うちの学校に句碑なんか立ってたか…?
ふ・・不同石?
どうにも分からないので
わりと古参と思われる先生方に話を聴きにいったのですが、皆さん
「福永耕二先生?ああ知ってるよ。有名な方だ。でも話を聞いたことがあるだけで会ったことは無いな」
という方がほとんどでした。
句碑自体は6年前(私が市川に受かった春!入学前。)に出来たそうで、
旧校舎にあるということは分かりました。
有名な人の句碑でありながら
在校生がその存在を知らないようでいいのか?と思いましたが
やはりこの新校舎にあって注目されたいというよりは、実際に日々を過ごした旧校舎の方に
句碑を残したいという想いがあったのかもしれないですね。
ひらく書の第一課さくら濃かりけり 登四郎
梅雨ふかき声はげましの教師われ 翔
落葉松を駈けのぼる火の蔦一縷 耕二
まあなんだかんだで
実際に3人の先生方と一緒に働いてた、という先生2人に話を伺うことが出来ました。
なかなか個人的なお話が多かったのでここには書けませんが
福永耕二先生は非常にお酒を好まれた方で、志半ばに42歳の若さで亡くなられたそうです。
今、もしまだ生きていたならば日本を代表する俳人となっていただろう、とのこと。
それにしても当時の学生が羨ましいです。
今週中に旧校舎を訪れたいと思ってまーす。
写メを撮りに。笑
おもいっきり試験中ですが。
せっかく疑問が解決したので、こんな人が市川にいたということをブログに書いときます!
こういう人のことは、きちんと伝えていくべきだと思うんだけどね。
句碑はともかく、うちの学校は記念の○○って沢山ある割に、現役生徒に伝えるつもりがあまりないよね。
形式で終わってるというか。
よっしゃ世界史やろう。
